第一話

 
 警察官に右腕をねじられその手首に手錠をはめられた高橋港は自分の想定が甘すぎたことをようやく認識していた。
 港は日本史上でも空前の売国政権を糾弾する経済評論家としてインターネット上で人気を博していたが、その舌鋒の鋭さとマスメディアに対する批判、さらには在日に対する批判が様々な敵を作り出していることでも有名だった。
 彼の運動が功を奏したのかマスコミの必死の妨害にも関わらず売国政権は総選挙で大敗。
 もろ手をあげて祝杯をあげた港であったが敵はある必殺の置き土産がさし向けられていた。

 ―――――人権擁護法案。

 旧与党の必死の抵抗にも関わらずさる10月に強行可決されていたこの法案は人権委員会なる委員が人権侵害に対して令状なしに立入や押収を含めた権限を与えるという空恐ろしい法案である。
 政権与党から転落を余儀なくされた売国政党は最後の抵抗とでも言うかのように選挙当選者を含めた政権批判者への一斉捜査に踏み切っていた。
 もちろんこうした手法が日本国という土壌で許容できるはずもないのだが、同時に一度犯罪者の烙印を押された人間に対する差別が存在することもまた事実である。
 この嫌がらせのような立入を受けた港は備え付けのパソコンを没収されたあげく、そのデータから某国との情報漏洩をねつ造され警察に告発されたのだった。

 「売国奴に売国奴呼ばわりされてたまるか!」

 怒髪天を衝いた港は全力で抵抗した。
 逮捕令状を持ってきた警察官自身には何の責任もないことはわかっていても抵抗せずにはいられなかった。
 ようやく売国政権が倒れ日本が新たなスキームのもとに生まれ変わる機会が訪れたのである。
 この天祐の時に拘置所で無為の時を過ごすことなど我慢出来ようか。
 ようやく国民が野党とマスコミの欺瞞を理解し始めたことで、日本の政治環境は劇的に変わろうとしていた。
 あるいはこうした摘発も、そうした環境の変化に耐えられない既得権益者の断末魔であるのかもしれない。
 しかし長年その既得権益者と戦ったきた高橋にとって、念願の戦後スキームからの脱却を果たそうというこのとき、犯罪者として収監され発言の機会を奪われるのは我慢ならなかった。
 まだまだやりたいことがある。
 そして政権を奪還した与党も決して一枚岩ではない。
 円高を是正し、安全保障を正すためには何より国民のコンセンサスを得ることが一番なのだが残念ながらマスコミは総力をあげてこれを葬ろうと画策するだろう。
 左翼コミンテルンの亡霊に支配されたマスコミと、労組の紐付政治家が円高を放置したのはただひたすらにそれが中韓にとって都合がよいからである。円高に耐えられなかった企業が生産拠点を海外に移し、その大半が中国で雇用と技術力が次々と彼の国に移転した。
 またテレビや携帯電話などの分野で競合する韓国がどんどんウォン安に支えられた価格破壊によって日本のシェアを奪った。
 選挙資金や選挙応援、さらにマスコミの支援を得るために売国政党は日本国民が史上最悪のデフレ不景気を完全に放置した。
 デフレとは簡単に言えば価格の下落である。
 物の価格が下がるのはいいじゃないかという者がいるだろう。
 しかしデフレにより価格が下がると言うのは労働価値の下落でもある。
 当然給料は下がり逆に貨幣の価値は増大して資本力の格差が広がる。
 資本家は円高で市場価値の少ない日本を見捨てて海外に投資を回し結果ますます日本の生産能力は投資による更新の機会を失って衰亡していく。その売国政党のおかげで空前の好景気を謳歌したのが中韓であった。

 デフレの時代にインフレ対策を講じるとはどこの馬鹿だ?

 港は機会を捉えてはそう言い続けてきた。
 デフレから脱却するために必要なものは金融の緩和と円高の是正でありそれによる賃上げの達成である。
 TPPをはじめとする構造改革による生産環境の向上はインフレ対策ではあってもデフレ対策ではない。デフレ時代には生産の供給を刺激すべきではないのだ。
 今国民国家に必要なものはグローバリズムによる弱肉強食ではなく、いかに相手側の土俵で戦わずにこちらのルールで戦うかという条件闘争である。
 商慣習はおろか為替レートにまで口出しされかねないTPPへの参加など論外だ、というのが港の主張であったが概ねネット民からは支持されており、その支持率には与党の大物政治家すら注目しているという話であった。
 しかし今や自分は犯罪者に落ちようとしている………。

 手錠を引かれて自宅を出ると待ち構えていたように報道陣がカメラを向けていた。実際に待ち構えていたのだろう。これまでさんざん批判されてきた彼らのこれが報復ということらしい。

 「高橋容疑者が今警察官に逮捕され出てきた模様です!」

 美貌で知られるニュースキャスターがマイクにかじりつかんばかりの勢いで口角を飛ばしていた。
 そう言えばこいつも無能なタレントキャスターとか言って馬鹿にしてたからな………。
 それにしてもこういう時だけは団結して根回しするこいつらはこの選挙の結果を何も反省していない。
 その事実に港は暗澹たる思いにかられる。
 中韓に牛耳られたマスコミの正体に国民は気づき始めている。
 しかしそう知ってもなお彼らは報道の姿勢を改めることはないのだろう。
 なぜなら既得権益を守るために必要なものは国民の理解ではなく、同じ既得権益者同士の相互保障であるからだ。
 つまるところ彼らは戦後築きあげてきた地位を守るために今さら主義主張を変えることはできないのである。

 (じっちゃん………あんたならどうしたかな?)

 自分よりも遥かに困難な時代に財政再建まであと一歩のところまで迫った名宰相の先祖を思い出して港は苦笑を浮かべた。

 ――――――そのとき

 ドスン

 何かが背中からぶつかってくると同時に燃えるような痛みを腹部に感じて港は倒れこんだ。
 いやらしい笑みを浮かべた糸目の青年が血に塗れた包丁を手にしているのを見てようやく港はことの事態を察した。
 どうやらただ逮捕するだけでは俺への恨みは晴れなかったらしい。

 「ああっ!容疑者が事件に巻き込まれた模様です!いったい何が起こっているのでしょうか?」

 バシャバシャとフラッシュが焚かれるが俺を救うために駆け寄る人間はいない。報道にとって犠牲者は美味しい被写体であって救助すべき人命ではないからである。

 ―――――どうしてこんなになっちまったんだよ日本人

 
 全ては遅かったのだろうか?
 憲法を改正し、放送法も改正して報道に市場経済を導入する。
 そうして教育の現場から日教組を排除して日本を自虐の戦後史観から解き放つための素地は出来つつあると港は感じていた。
 しかし本当にそうか?
 自分を支持してくれたネット民ははたしてマスコミや権力者と戦える気概があるのか?
 現政権が倒れれば全ては元の木阿弥に戻るのではないか?

 畜生………やっぱり悔しいな……あんたもそうだったかい?じっちゃん……………

 一時は平成の怪物経済評論家と恐れられた高橋港は一筋の無念の涙とともに息を引き取った。

 死後彼の無実は証明され、人権擁護法案の廃案とともに法を恣意的に悪用した委員が数名逮捕されたものの、テロすら辞さぬ既得権益者の抵抗に内閣の憲法改正法案は三分の二の賛成票を集めることが出来ず廃案へと追い込まれた。
 まして放送法の改正など言いだすことのできる気骨ある言論人は港のように殺されるか、何らかのスキャンダルをでっちあげられて発言の機会を奪われていた。
 2013年いまだ日本は亡国の危機を克服するにはいたっていない――――。








 「はっはっはっ!今度は騙されぬよう気をつけたまえよ!和喜次君」

 人のよさそうな青年がバンバンと背中を叩くため衝撃が腹部にまで響く。見かけによらず強力なお人だ。
 痛む背中を押えながら港は目の前の青年を見つめた。
 えらそうに髭など生やしているが育ちの良さは隠しようもない。
 それにしても随分と時代がかった服装である。
 まるで鹿鳴館時代の日本人のような格式ばった洋装であり、こうした洋装を港は初めて目にする。
 それにしても自分は和喜次などという名前ではないのだが………。
 そう思った瞬間、港は背中を刺されて絶命したはずの記憶を思い出した。
 そうだ、あのとき俺は死んだはずでは―――――。
 驚愕と違和感とともにあたりを見渡す。
 映画のセットでもお目にかかったことのない蒸気船が今まさに出港せんと汽笛を鳴らしており、青年以外の人々も色とりどりの洋装を身にまとった外国人――――なまりからしておそらくアメリカ人であろう―――が所狭しと歩き回っている。狐にでもつままれたような気持ちで港はもう一度目の前の青年を見つめた。
 どこかで見たような面ざしである。
 実際に見たわけではなく教科書か何かの書物でも見たような………。

 いや、待て。和喜次……彼は俺を和喜次と呼んだな?

 その名が先祖の幼名であることを港は覚えていた。
 そしてこの地がアメリカであるならば、先祖を幼名で呼ぶこの人物は――――。

 「森……有礼先生………」
 「おいおい、どうした急に先生なんて!君らしくもない!」

 照れたように頭を掻くこの青年が後に明治の六大教育家として知られる森有礼だとは――――いや、それ以前に、…………。

 港は自分がどうやら先祖の巨星高橋是清に転生したという事実に自らの精神の異常を疑った。
 ためしに頬を思いっきりつねると泣きだしたいほどの痛みを感じる。

 「そんなことをしなくても大丈夫、君はもう奴隷に戻ることはないのだから」

 留学先で騙され奴隷として売り飛ばされた和喜次が救い出されたのは奇跡のような僥倖だった。
 夢のような僥倖に和喜次が頬をつねるのも無理からぬと森は考えていたがまさか21世紀の未来から転生してきた青年が正気を疑っているとは想像もできなかった。


 「………俺みたいな小物が是清とか冗談だろ………?」

 高橋是清の波乱万丈の人生を知っているだけに、その人生を自分に求められるのかという現実の重みに港はただただ重責と暗澹たる思いを隠せなかった。







 

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